 
A93号線を南下する黒いベンツのワンボックスは、どうやらオーストリア領内に入ったようだ。 EU内で国境を示すものは、高速沿いの小さな看板しかない。しかし、目的地まではまだ200kmほどある。 今日はドイツ、ミュンヘンからオーストリアを抜けて、スイスまで向かわなければならない。 日本を出発する1週間ほど前にシギーからメールが届き、今回はオーストリアだけでなく、スイス、イタリアのゲレンデを回りながら撮影しようという連絡が来たのだ。 シギーとはスイスのシュクールという町で落ち合うことになっている。
オーストリアからEUではないスイスへ入る時には国境事務所のようなものがあるが、国境警備隊の若いお兄さんは減速する我々の車を、面倒くさそうにアゴで、「そのまま進むように」、と促す。我々はどうやらスイスへ入ったようだ。 後部座席でくつろぐ片山雅登は、「これで今回の旅、早くも4カ国目ですねー」とはしゃぐ。 「昨日乗り換えたアムステルダムは空港で乗り換えただけだから、オランダは行ったうちに入らないだろう」、と言ってみた。 「そんなことないですよ。だってパスポートに入国スタンプ押してもらったのは、アムステルダムだったじゃないですか」。「確かにね」、確かに“2カ国目”のドイツ、ミュンヘン空港では入国審査がなかった。昔は日本のパスポートなら、表紙を見ただけでページを開くことなく、入国できたものだが、ここ数年はEU以外のパスポートレーンに並ばされ、セキュリティーも厳しい。
そんなヨモヤマ話をしているうちに、車はシュクールまで5kmに差し掛かっていた。シギーに電話してみる。 「もうそろそろシュクールに着くけど、どこに行けばいいかな?」。 「早っ、もう着いたんだ。実はまだオフィスにいて、これから工場に行ってからそっちに向かうから、着くのは夕方になると思う。ネビンに今日からの宿を聞いて、ショートメッセージをケータイに送るから、先にチェックインしておいてよ。夕ご飯で会おう。チャオ!」。 便利な世の中になったものです。 ひと昔前はケータイなんてなかったから、海外で誰かと待ち合わせる時は、うまく会えるかドキドキしたものだけど、そんな苦労はもうない。でも、そんな苦労のおかげで何かを感じたり、予測して考えるような、“嗅覚”のようなものは鍛えられたと思う。 若いライダーたちを見ていると、最近はこの“嗅覚”のようなものが鍛えられていなくて、結果的に苦労しているようにも見える。 便利とは、結局何かの苦労を買っているような気がするのは気のせいだろうか。 そう言いつつ、昨日の夜までシュクールがスイスのどこにあるかわからなくても、ネットに繋がれば、グーグルマップが丁寧に道順を教えてくれた。便利は使いつつ、“嗅覚”は失わないように鍛え続けろ、ということか。 シュクールに着いて、昼食を取っていると、シギーからショートメッセージが入る。小さな町なので、難なく宿はすぐに見つかった。
まだ陽は高く、夕食までには時間があるので、町を散策してみることにした。明日からの撮影に備えて、軽く体を動かしておいた方がいいということもある。 シュクールにはもちろんスキー場がある。 山に囲まれた小さな町は坂があり、坂には石畳が残り、坂のいたるところに泉が湧き出ている。坂を登りきって、渇いたのどを潤す泉の水は、冷たくておいしい。派手さはないが、雰囲気のいい町を僕たちはすぐに気に入った。 町を散策してホテルに戻ろうとしていたところ、道端でアイスクリームを食べているどこかで見かけたことのある顔に出くわす。 と、それは小林学だった。 そう、学はシーズンのほとんどをこの町で過ごし、スイスのプライベートチームでトレーニングを重ねてきたのだ。もちろん明日からの撮影に参加する予定で、宿に戻った後で電話を入れるつもりでいたところだったので、ちょうどいいタイミングで会えた。 夕食の約束をして一旦、学と別れ、ホテルに戻ると、シギーが到着していた。久しぶりの再会を喜び合い、ブラブラブラとヨモヤマ話をして、「じゃあ夜にゆっくり」、ということで夕食を迎えることになる。
夕食には明日からの撮影クルーが顔を揃える。 ライダーは、日本から片山雅登、小林学。スイスからネビン。 ネビンはシュクールの隣町に住むローカルで、SG Pro Team若手のホープ。そして、オーストリアからシギー。 お互いの近況を話し合ったり、ゲレンデの様子を学やネビンから聞いたりしながら、楽しい食事の時間は過ぎていく。 学によると、気温は上がってきているが、雪はまだ良くて、朝イチはかなり硬いくらいだという。ネビンによると、この先数日は天気も 概ね良好らしい。
満腹と昼の散歩の適度な疲れが心地よい眠気を誘う。 今夜はぐっすり寝て時差を解消し、スッキリと明日からの撮影を迎えられそうだ。 おっと、寝る前に無線の充電を忘れちゃいけないぜ。
次回につづく
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